2005年09月19日

ショート・ピース

 ネタもないし、卒論の中間発表が近づいてきて忙しく、小説がかけないので、昔のヤツを載せてみます。
 原稿用紙4枚程度の短いモノですので、宜しければ読んでみてくださいな。

ショート・ピース

 夢を、見ていた。悪い夢である。
 よく覚えてはいない。キュビズム絵画のように、断片が転がり、そのそれぞれが歪み、捻じ曲がって脳の端で蠢いている。決して攻撃的ではない。暗い印象もない。断片は抽象的だが、女に統一性をもった何かを訴えていた。

 寝室は薄い闇に包まれている。しかし、家具一つ一つの輪郭をハッキリと見ることができた。東の地平がカーテン越しにも少し白んで見える。
 女は喉の渇きを感じ、立ち上がろうと、ベッドの端から足を下ろした。ふと、隣のベッドが目に入る。平らな蒲団は奇妙なほど無機質な表情のままそこに置かれていた。整然としているが、空疎で、関わりを拒否するかのような表情。
「会社の連中と飲みに行くから午前様になる、先に寝てくれ」と昨晩電話があった夫の姿はそこにはない。
 一つ小さな息をついて、わずかに腰を持ち上げると、廊下をひたひたと歩く音が聞こえた。足音は強い主張をもって、その陰湿な響きを鮮明に耳へ届けている。階下からであった。まだ、遠い。

 女は夫と二人でこの家に暮らしている。
 夫は製薬会社に勤めていて、生活は安定していた。一人息子は東京の企業に就職し、独り暮らしをしている。祖母は自ら老人ホームへの入所を希望して家にはいない。家も早くに亡くなった祖父の遺産であり、ローンもない。二世帯住宅は二人暮らしには大きすぎるくらいであったが、夫は住み慣れたこの家を離れようとはしなかった。

 足音が階段を叩く音に替わった。上り終えてすぐ左手に女の寝室がある。女は宙に置いた腰をベッドに落ち着かせ、蒲団を引き寄せて胸前で掴んだ。顎に力が入らず、歯がカタカタと音を立てる。それが、酷く響いた。
 ノブの、鉄の擦れる音が聞こえ、女は上ずった声でなんとか「誰ぇ」と訊く。返事は、ない。ぎこちない音を立ててドアが開(あ)いた。

 夫が少し赫らんだ顔を覗かせた。独り言(ご)つように云う。
「起きてたのか」
 声は衒いを帯びて、女の耳に触った。顔の血色とは逆に、目元に重々しい雰囲気を連れている。
 夫はベッドの角に深々と腰を下ろし、小さな両切り煙草に火をつけた。眼があちこちを向き、落ち着かない。煙は細い数本の螺旋となり、互いに絡み合って天井を目指す。夫は一つ煙を吐いた。
 女は安堵で頭が白く濁るのを感じ、一方で酷く不快になった。重い沈黙が会話を急かしている。だが、何か訊くべきなのか、迷った。

 何故、わざわざこの部屋へきたのか。何故、私が日常を取り戻すまで待ってくれなかったのか。
 無機質な目覚まし時計の音で心臓を揺すられて、いつもの一日が始まるはずであった。眠たい眼を擦りながら朝食の用意をして、夫を、気遣いながら起こす。女にとって朝はそういう時間であった。だが、今日は違う。日常は無理矢理に歪められていた。

 いつからかは分からない。だが、数ヶ月前からの夫の態度を見て、女は夫にオンナがいることを確信していた。数々の状況証拠や物的証拠はもとより、男が見せる滑稽なほどの自信がオンナの存在を知らせていた。
 女は見てみぬ振りをするつもりであった。すぐに、とはいわなくても、いつかは元に戻るはずだと考えていた。触れれば平和が脆く欠けてゆくような気がしていた。
 だが、あろうことか、わざわざ接触してきたのだ! なんということを!
『私は何もしていないのに!』

 煙草の煙と沈黙に堪えず、女は窓を開けた。湿気を帯びた朝の空気が肺を満たす。空はまだ夜の衣を脱ぎきっていない。静かな住宅街の朝である。小鳥の鳴く声と、ちりちりと煙草(ショート・ピース)の燃える音が聞こえた。
                                    -了-

posted by たつ at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

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